歴史ある建築物に学ぶ。経年で価値を低下させないポイントは構造とデザインにあり!
2019.07.18

竣工から時が経つにつれ、次第に古びてしまうのは建築物の宿命です。定期的な修繕や改築を行なっても、建材の耐用年数やデザインの流行、生活様式の変化などによって時代にそぐわなくなってしまうのは避けられません。

しかし、一方では時を経てもなお凛として立ち続ける建築物もあります。それらは時を経ても価値を減ずることなく、街のシンボルとなって人々に愛され続けています。

今回は、歴史を超えて存在感を発揮し続けた建築の代表格として「東京駅 丸の内駅舎」「原宿駅舎 表参道口」「同潤会青山アパートメント」をクローズアップ。建築構造やデザインという観点から、永く愛され続けている理由に迫ってみましょう。

堅牢な「構造」が支える日本の有名建築

まずは、建築物を支える「構造」に着目してみましょう。日本の近代建築が歩みを進めるのは明治時代からのこと。近代化が進むにつれて官公庁や学校などの公共施設、銀行や工場など商業・産業の基盤が整えられていきます。

しかし、当時はまだ西洋建築に関する知識、情報がありません。そのため、伝統的な日本の工法を受け継ぐ大工、棟梁たちは洋風建築を参考にして建物を造っていったのです。純洋風な銀座の煉瓦街に和風のパーツを加えたり、土蔵造りの街並みが新たに造られたりと、東京には和洋折衷の構造を持つ建築物が数多く生まれました。しかし、この黎明期の建物で現存するものはほぼありません。

東京・日本橋で荘厳に佇む「日本銀行 本店」。ベルギー中央銀行を手本にしたとされるネオバロック様式は、重厚感がありながらもどこか穏やかな表情を見せる

その中でも、今なお存在感を発揮し続ける建物は、当時の日本政府が欧米の技術や知識を取り入れるために招聘したお雇い外国人ジョサイア・コンドルが指導した“日本初の建築家”グループが手掛けたものです。一番弟子である辰野金吾は東京駅 丸の内駅舎、日本銀行を設計。妻木頼黄は横浜赤レンガ倉庫や東京都庁。片山東熊は帝国京都博物館(現 京都国立博物館)、東宮御所(現 迎賓館)を設計しています。

彼らの役目は日本に本格的な西洋建築をもたらすこと。そして、新しい建築技術を海外から導入することでした。東京駅 丸の内駅舎は鉄骨煉瓦造りの堅牢さが特徴です。関東大震災の激震に耐えて多くの避難者を救い、帝都の速やかな復興を支えました。

関東大震災といえば、地震大国・日本では地震や火災に強い鉄筋コンクリート構造も古くから注目されてきました。大正時代初期には耐震を踏まえた構造計算が進歩を遂げ、建築家の内田祥三らが防火建築の研究を進めたのです。

現在の表参道ヒルズの一部を構成する「同潤館」。安藤忠雄の設計によって再現された現在の建物もモダンとレトロが見事に融合している

その内田祥三の弟子たちが設計したのが同潤会アパート。東京・横浜の各地に関東大震災後の復興用に建てられた日本最初期の鉄筋コンクリート耐火アパートシリーズです。表参道の同潤会青山アパートメントも各住戸にガス、水道、厨房設備、水洗便所、ダストシュートなどが設けられ、耐震耐火構造を備えた上で都市型の生活を提案していました。

それぞれの建築物は、駅舎という交通インフラを支えるものとして、人々が安心・安全に住まう住居としてなど堅牢な構造が求められ、その結果が永く価値を維持するベースを作ったのです。

時代を彩り、魅了し続ける色あせないデザイン

次に建築物の「デザイン」について見てみましょう。先述の通り、日本の近代建築は黎明期の日本人建築家が支えてきましたが、彼らが学んだのはヨーロッパの建築デザインでした。辰野金吾はイギリス、片山東熊はフランス、妻木頼黄はドイツと、当時の西欧列強に学んでいます。

当時、ヨーロッパの建築は過去のクラシカルな建築様式のリバイバルが主流。官庁はバロック、美術館はルネサンス、教会はゴシックというように、それぞれの施設に合わせた建築様式が採用されました。日本でも、例えば明治中期に建てられた日本銀行  本店は、国家建築を飾るのにふさわしいネオバロック様式で建てられています。

都心のど真ん中で日本を見守り続ける「東京駅 丸の内駅舎」。青空や新緑にも映える赤煉瓦造りの魅力

では、辰野金吾が手がけた東京駅 丸の内駅舎はどうでしょうか? 実は、ルネサンス式や辰野式ルネサンス、フリー・クラシック(ヴィクトリアン・ゴシック風)などさまざまな呼称があり、いまだはっきりとした建築様式の定義がないのです。

実際のところ、赤煉瓦と白い花崗岩を交互に積むクイーン・アン様式や、アーチやドームを取り入れたルネサンス様式、デコラティブなバロック風の意匠など、さまざまな洋風建築のエッセンスが複合的に取り入れられています。言うなれば“日本における洋風建築の集大成”という評価が最も近いのかもしれません。一つのスタイルにこだわらず、最適な様式を随所にトッピングする――そんな柔軟な発想が垣間見えます。

様式の組み合わせといえば、1924年(大正13年)に竣工した原宿駅 表参道口の駅舎も見逃せません。こちらは、白壁の表面に木の骨組みを強調したハーフティンバー様式ののどかな外壁に加え、正面エントランスの模様には19世紀後半~20世紀にかけてヨーロッパで流行したセセッションの影響が見られます。

ヨーロッパの建築新潮流では曲線を用いたアール・ヌーヴォーも一世を風靡しましたが、日本では直線の構成をメインとするセセッションが家具、呉服などにも取り入れられて大流行しました。イギリスの田舎を思わせるハーフティンバーと、モダンなセセッションの融合。時代を超えたデザインとして、愛着を生むのは自然の成り行きかもしれません。

人々の支えなくしては実現しない建築物

ここまで、永く愛される建築物のハード面の要素を考えてきました。しかし、ソフト面での下支えも無視することはできません。それは、建物に住んだり、使ったりしてきた人々の愛着と理解。ひいては、大切な街並みとして保全していこうという意識です。

東京駅 丸の内駅舎の保全、復原を牽引したのは「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」でしたし、残念ながら21世紀に入って取り壊された同潤会青山アパートメントも、跡地に建てられた表参道ヒルズの一部で「同潤館」として形を変え残されています。原宿駅 表参道口の駅舎も2020年の東京オリンピックに向けて駅の改良工事、駅舎建て替え計画が進められる一方、地域住民による保存・再生・活用の提言があります。

文化財として価値のある建築物を保存するという意義はもちろんありますが、人々のつながりのポイント、風景に欠かせないランドマーク、長く続く都市生活のシンボルとして建築物を捉えていくことも大切です。行き交い、利用し、住んでいく――建物に紐付き、自然に発生するコミュニティもまた、永く愛される建築物を支える要素なのです。

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