京町家に触れる。快適に過ごすための暮らしの工夫とは?

世界的にも有名な日本の古都・京都。京都の街並みは、794年に南北の大路と東西の大路が碁盤の目のように組み合わされて造られた平安京が始まりです。その後、応仁の乱で一度焼け野原となりましたが、豊臣秀吉の都市改造によって平安時代よりさらに細分化され、ほぼ現在の姿になったといわれています。

京町家とは?

京都の街並みでよく見かけるのが、大通りに面した間口が狭くて奥に細く伸びる「京町家」。その細長い独特の形状からよく“鰻の寝床”と称されます。京都にこの風変わりな住まいが増加した理由は、江戸時代に間口の広さに対して税金が掛けられたからという説もありますが、秀吉が、より多くの町人が住めるように都市改造を行なったためともいわれています。そう考えると税金対策というより、多くの商人が通りに面して店を構えられる、各家の間口が狭いこのカタチが理にかなっていたのではないでしょうか。

商いによってデザインの変わる格子。家の中から外が見やすく、外から中は見えづらいという特徴も兼ね備えている

ちなみに商いの名残は今も京町家に残っています。例えば通りに面して構える格子のデザインは米屋や炭屋、糸屋、酒屋といった商いの種類に応じて異なります。

現代の一般的な住宅とは少々カタチが異なりますが、京町家には400年以上もの間受け継がれてきた暮らしの知恵が詰まっています。現在でも十分に活用できるアイデアをご紹介しましょう。

空間をシーンで区切る京町家の工夫

まず間取りから京町家の特徴を見てみましょう。現代と大きく異なるのは、表口から裏口まで屋内に一本の「通り庭」が貫かれていることです。この通り庭に沿ってひと連なりに部屋(間)が設けられていて、廊下はありません。連なる部屋は障子や襖といった建具で仕切られ、建具を全て外せば奥に長い一間となります。

部屋は表口側から順に「ミセ」、「ゲンカン」、「ダイドコ」、「オクの間」となり、その先に奥庭があります。ミセと住居部分(ゲンカン・ダイドコ・オクの間)を別棟にして建てる表屋造りの場合は、ミセと住居棟の間に坪庭を設けます。

通りに面したミセは店舗や商談の場として、職人の場合は作業場として使われる間です。通りから通り庭への入り口には「カド口」が備わります。普通の家ならこのカド口が玄関なのですが、京町家のカド口はあくまでも商売で訪れる客の出入り口で、主が招いた客の出入り口としての玄関はその奥の「ゲンカン」になります。

さらに奥へ進むとダイドコがありますが、現代の台所とは違い、ダイドコに面する通り庭がかまどなどを置く調理場で、ダイドコと呼ばれる空間の役割は現在のダイニングやリビングに当たります。

階段下の形に合わせて設計された箱階段(階段箪笥)。デッドスペースを無駄にしないアイデアが光る

二階に上がる階段はダイドコの奥にあり、普段は押し入れの襖に隠れているか、階段の下に収納スペースの機能を持つ箱階段(階段箪笥)となっています。

オクの間は格式の高い座敷で、大切な客をもてなす接待の場となります。そこから見える奥庭は、座敷と一体となって非日常の空間をつくり、客をもてなします。

「通り庭」を起点にした生活の知恵

京町家の大きな特徴である通り庭は、通りから奥庭まで貫くため、靴を脱がずに通り抜けられ、人の出入りや荷物の運搬がスムーズに行えます。また風の通り道になるほか、室内の奥まで光を採り入れやすくなります。

京町家の標準的な間取り。大通りのミセから奥庭までが通り庭でつながっていることがわかる

通り庭はミセ部分が「ミセ庭」、ゲンカン部分は「ゲンカン庭」、ダイドコ部分は「ハシリ庭」と呼ばれていました。特に現代と異なるのがダイドコ部分のハシリ庭です。現在のキッチンに当たるこの場所は、主婦が炊事のために忙しく動き回ることからこう呼ばれています。

火を使うハシリ庭の上部は「火袋」と呼ばれ、万が一出火しても上に抜けて隣家への延焼を防ぐよう、梁や天井が見える吹抜けになっています。この吹抜け部分に天窓や引窓(二階の高さの壁窓。紐を引いて開閉する)を備えることで、下からはかまどの煙が抜け、上からは光が注ぎます。

現代ではついつい部屋の広さを平面、床面積で捉えがちですが、「火袋」は、“縦方向”の考え方を取り入れた立体的な空間として部屋を捉えると広がりが生まれること、光や風を採り入れられることを教えてくれます。

「人、光、風」の往来をスムーズにするオールマイティな空間「通り庭」は、家の間取りや採光、風通しを考える際、非常に参考になります。

公私を重んじる精神がもたらした空間設計

近年は温暖化の影響で夏がとても暑く、地域によっては打ち水を行なうイベントを開くところもありますが、京町家もこれと同じ原理を使って涼をとります。空気がとまるような暑い夏の日には、奥庭に水を撒くと水が蒸発する際に周囲の空気を引き込むため、通り庭を伝ってまるで冷房のように家全体に風が流れ始めるのです。

それに合わせて、京町家では夏になると「建て替え」をします。といっても現代の大掛かりな建て替えとは異なり、家中の建具を夏物に替えるいわば“衣替え”のようなものです。襖や障子を、すだれをはめ込んだ葭戸(よしど)と呼ばれる夏用の建具などに変えて、風を通しやすくするのです。

このように京町家には限られた空間を、広々と快適に暮らす工夫がそこかしこに見受けられます。例えば、全体をゆるやかな一つの空間として建具で仕切り、その時々に応じて建具をアレンジするというのは、現代の敷地をあまり広く取れない住宅環境にも十分応用できます。

その一方でミセ、ゲンカン、ダイドコ、オクの間という具合に、単に空間を仕切るのではなく、それぞれの空間にきちんと役割があることも見逃せません。通り側にミセ、つまり外との交流の場を設け、その先のゲンカンは主が許した者のみ、さらに先のダイドコ(ハシリ庭)は野菜や魚などを売る人など限られた者のみという具合に、役割に応じて入れる人も変わります。昔の京町家ではもてなしの空間・オクの間に面した奥庭で子どもたちが遊ぶことは許されなかったそうです。

京町家に住む人は公と私、ハレ(非日常)とケ(日常)を大切にしていました。公と私、ハレとケをしっかりと意識することが、空間を区切る際のヒントになりそうです。

快適に暮らすために大切なのは、広さではなく、立体的な空間の使い方や区切り方。そんなことを京町家は教えてくれているようです。

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