明治に創業し、伝統的な技術で江戸漆器を手掛ける「ぬしさ」。蕎麦道具の製作に始まり、戦後は国会の氏名標の塗り替えを一手に引き受けています。ぬしさの漆器は、時代とともに変化しながら受け継がれてきました。現在、代表を務めるのは、4代目・竹俣圭清(たけまた・けいせい)さんです。
先代の想いと技術を受け継ぎ、新たなカタチで漆器の良さを発信する竹俣さんのモノづくりへの姿勢と、次世代に伝えたい想いを伺いました。
木工から漆器の世界へ
大学卒業後、都内の家具メーカーに就職した竹俣さん。モノづくりのキャリアのスタートは、家業の江戸漆器ではなく、木工家具でした。

竹俣 就職した家具メーカーは、椅子・家具・張り・塗装部門があり、一点ものの特注品から既製品の量産まで、幅広く手掛ける会社でした。椅子を一脚作るとして、大きなメーカーでは分業になる木工部門の工程を最初から最後まで自分で作らせてもらえたんです。それは、僕の中でとても貴重な経験でしたね。
――「木工の道で生きていく」。そんな想いを抱いて木工の技術を磨き、5年目に差し掛かった頃、家業のぬしさを継ぐ話が出たそうです。竹俣さんは、後ろ髪を引かれながらも埼玉県吉川市の実家へ戻り、ぬしさで働くことを決意します。当初は職人ではなく、営業として活動していた竹俣さん。そのとき初めて商品としての漆器の素晴らしさに気が付いたと言います。

竹俣 ぬしさで営業をしながらも木工は続けていて、作業場をシェアして知人の仕事を手伝っていました。そんな中、だんだんと「漆を使った自分にしかできないモノづくりがしたい」という気持ちが募っていったんです。
――自ら惹かれた「木工」と、家業の「漆器」。竹俣さんのモノづくりが、ここから再び動き出します。
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体感した手仕事の重み
現在、埼玉県吉川市の拠点には、木工と漆器、2つの工房があり、オリジナルの家具や家業の漆器の製作に勤しんでいます。まずは、木工の工房にお邪魔し、製作途中の椅子と国会の投票札を見せてもらいました。
竹俣 椅子は難しいんです。どんな椅子を作るかにもよりますが、座り心地はもちろん、見た目、軽やかさ、強度、組み立て方、素材の使い方、木目などに加え、角度とアール(曲線や曲面)が複雑に絡み合うのでまず原寸図を描くことから始まります。技術はもちろん、図面を引く知識や経験が必要になります。これは、家具職人時代の経験の賜物ですね。

――椅子の製作工程とこだわりを説明していただいた後、ぬしさで一貫して製作を担っている国会の投票札を見せてもらいました。天然林で育った木曽檜(きそひのき)を使用しているそうで、その樹齢はなんと400年。見せてもらったのは、厚みが薄かったり、逆目が止まらなかったり、節があったりして使えないB品。B品は処分せずそのまま残しているんだそう。その理由は竹俣さんの素材に対する想いにありました。
竹俣 投票札は議員の名前を墨で書き入れて使用しますが、落選したりして使われなくなった投票札は弊社に戻ってきて、表面を鉋で削り木札として国会内で再利用されています。またこの樹は400年も生きてきたわけで。400年ですよ!人間だったら400歳、江戸の前期ですよ!やすやすと捨てられないですよ(笑)。
――「モノづくりは素材が一番重要ですから」と笑顔で語る竹俣さん。続けて、ご自身が身をもって体感した“手仕事の重み”についても語ってくださいました。

竹俣 厚みについては、1枚あたり0.04㎜の誤差しか許されません。なぜなら、投票札の集計は厚みで数える計算器を使用しており、最大25枚重ねて1㎜以上の誤差が生じてしまうと集計に支障をきたすからです。仮に逆目をとるのにひと鉋かけてしまうだけでも0.02㎜くらい薄くなってしまいます。少ない数でしたら問題ありませんが、5,000枚を越えてくる数をこのシビアさで均一に、かつ木材で製作するためには、実は非常に高度な技術と経験、知恵、想像力、忍耐力がなければできないんです。ヤニ抜きと乾燥も関係します。僕も家業を手伝うまでは「投票札はデジタルでいいのでは」と思っていましたが、実際に作ってみると、これまでの見えていなかった職人たちの血のにじむような苦労と沢山の失敗と努力が見えてきて、その積み重ねのおかげで多くの学びを得ています。非常に尊い伝統工芸だなと感じ、今では継承していかなければと強く思うようになりました。
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家業・江戸漆器の職人として
漆器の工房には、座って漆を塗る作業場所と、漆器を乾かすための“室(むろ)”と呼ばれる戸棚のような場所があります。それぞれの道具や設備、漆器の特徴を語っていただきました。
竹俣 漆は、湿度が75〜85%ないと永遠に乾きません。逆に梅雨の時期は湿度が高くなりすぎて乾きが速くシワが寄ってしまう。そこで乾きを遅らせるために漆を温めたり、湿度が足りない場合は室の中を霧吹きで湿らせたりして調整します。漆の精製によっても塗りの厚みによっても乾きは左右されますから、(乾きの)速い漆と遅い漆をその都度混ぜて使って感覚で覚えていくしかない。漆という、自然の塗料ならではの難しさと言えますね。

――漆を塗る作業は、“定盤(じょうばん)”という台の上で行ないます。下地をつくったり、篦をくばったり、漆を練ったり、刷毛を掃除するための重要な道具です。これも年々使っていくうちに、漆の層が重なって歪みが生じてくるのだとか。
定盤の引き出しの中には、漆の汚れをすくうための“へら”や、そのへらを作るための小刀が。小刀の柄には、漆職人による装飾が施されています。漆を塗るための道具と、それを作るための道具……。職人のモノづくりの連鎖を感じる一幕でした。

竹俣 歳を重ねるにつれ、古くからあるものが「良いものだからこそ残ってきたんだ」ということに気付かされます。その一方で、未来に向けた新たな取り組みも、やっぱりワクワクしますし、先代たちもそうやってチャレンジを続けてきたんだと思います。今は、古いものと新しいもの、その両方の必然性を感じながらモノづくりに向きあっていますね。
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環境に目を向けて受け継ぐモノづくり
竹俣さんは、モノづくりの原材料・環境資源のこれからにも想いを馳せます。
竹俣 特に日本のモノづくりの原点は、良質な素材があってこそ。林業の衰退によって森が荒れ、良質な木が減ってきていますし、国産の漆は全体の数%しかない状況です。森の環境整備や素材の精製を生業にしている人たち、道具を作る人たち、メンテナンスする人たち。人も素材も道具も生業も循環しています。「作る」という一つの工程を担う我々だけのことを考えるのではなく、「作らせてもらえている環境」に敬意と感謝を払いたいと思う次第です。

――30年後、40年後の未来、今ある伝統工芸の担い手は一体何人残っているのでしょうか。差し出されたバトンを受け取り、つないでいく担い手が現れることを竹俣さんは願ってやみません。個人のみならず、産業全体の環境に目を向けることが、次世代へ受け継ぐ大切な第一歩となるのです。
取材協力=竹俣圭清(ぬしさ)
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