東京都荒川区で、親子三代に渡り、鍛金による茶器類の製作を生業とする「長澤製作所」。その明るい人柄と確かな技術で長澤製作所を守り続ける3代目・長澤利久(ながさわ・としひさ)さん。今回はそんな長澤さんのモノづくりに向き合う姿勢、そして、今新たに考えている試みを伺いました。
“仕事の基盤を作る”ことの難しさ
一枚の金属板を、金鎚で叩き締めながら、急須や器などのカタチに形成していく伝統の技“鍛金”。初代・長澤金次郎さんが築き上げてきたその技術は、孫であり3代目の利久さんにもしっかりと受け継がれています。しかし、長澤さんは初めから家業を継いだわけではなく、少し意外な経歴をお持ちでした。
長澤 若い頃、私は家業を継ぐ気はまったくありませんでした。ときどき、休みの日に手伝いをするくらいで、正直うちが一体何をやっているのか分かりませんでしたね。10代で家を出てからは、美容師見習いをしていたんです。

ーーまったく異なる業界に進んだ長澤さん。初代からも2代目からも「家業を継ぎなさい」と言われたことは一度もなかったそうです。そうして社会に出てみて、家業の偉大さを初めて実感したといいます。
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長澤 不思議なもので、家を出てみて初めて気が付くんです。「ああ、うちってすごいことを生業にしていたんだな」と。社会に出て、祖父と親父が作ってきた家業の大きさを知ると同時に、(自分で)“仕事の基盤を作る”ことの難しさを知りました。そんなことを思っているタイミングで、親父から「家に戻って仕事をしてみないか」と言われたわけです。きっと、私の思っていることは見透かされていたんでしょうね。それで、家業を継ぐことを決意し、家に戻りました。1988年、私が20歳のときのことでした。

ーーマニュアルのない伝統技術の継承。指先の感覚とセンスが問われる鍛金の修行は、どのように行われるのでしょうか。
長澤 最初は雑用からはじまります。ただ、うちは町工場。手が空いてる者は、どんどん仕事をしろというスタンスなので、新人でもいきなり難度の高い仕事を任されることもありました。もちろん、言われたからといって、すぐできるものではありません。金鎚で叩いて模様をつける基礎の作業では、素材をへこませたり、変な角度で打ってばかりで、ちっとも上手くいきませんでした。それでもしつこく続けていると、不思議なものである日突然できるようになるんです。そして一度覚えると二度と忘れることがない。そうやって仕事を覚えていきました。1から10まで全部一人でできるようになるまでに、恐らく10年は掛かったと思います。
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バブル崩壊とともにやってきた職人の転機
長澤さんが職人として腕を磨いていく最中、日本のバブル経済が崩壊します。その影響でそれまで商品を卸していた問屋は軒並み廃業。それは、職人としての在り方を考え直すきっかけでもありました。
長澤 バブル崩壊と同時に、職人がものを作っているだけで良かった時代は終わりました。伝統工芸も、営業努力をしなければ生き残れなくなってしまったんです。そんなとき、仲間の職人から、「百貨店の催事に出て、直にエンドユーザーにものを売ってみてはどうか」と声を掛けてもらったんです。

ーー長澤さんが尊敬する職人からの一言で、新たな販路を見出した長澤製作所。問屋を通さず、直に職人の技を見てもらおうと営業活動を始めようとしていた矢先、その障壁となったのが先代たちだったと言います。
長澤 祖父や親父は、いわゆる昔ながらの職人。自ら営業せずともやってこれた彼らにしてみれば、「デパートの催事なんかに出てたまるか」という想いが強いのも仕方ありません。しかし、声を掛けてくれた職人を、親父も頭が上がらないくらい尊敬していたので、なんとか口説き落とせました。結局、お客様に製品を買ってもらうことが我々職人の使命です。どんなに良いものを作っても、あぐらをかいていたら伝統はそこで終わってしまいますから。

ーー催事によって様々な人に見られるようになった鍛金の製品。これまで営業活動をしていなかっただけに、売ることの難しさは壮絶なものだったと言います。
長澤 一度催事に出たとしても、売上ノルマを達成しなければ次の出店はありません。ものを“売る”ということの難しさを知りましたね。ですが、そのとき役立ったのが、美容師見習い時代の接客技術です。お客様にものやサービスの良さを伝える技術が、私の中に経験としてあったのはとても良かったと思います。
ーー美容師見習い時代の接客技術を生かし、催事などに積極的に出店することで、販路の幅を徐々に広げる。培ってきた接客技術と、今なおアップデートし続ける確かな鍛金の技術の融合が信頼される長澤製作所の魅力を形作っているようです。

鍛金の技術を海外へ
伝統技術を受け継ぎつつ、さらに自らが営業することで、長澤製作所の“今”を築き上げてきた長澤さん。次なる目標は、海外に向けられています。
長澤 これからやっていきたいことの一つに、海外展開があります。日本の伝統工芸に対する海外からの興味はとても大きく、特に中国はその最たるものです。イベントへの出店などで、すでに中国でも仕事をさせてもらっていますが、これをもっと盤石なものにしていければと考えています。中国に鍛金の技術、ひいては日本人のモノづくりの技術をもっとアプローチしていきたいですね。

ーー日本の伝統技術を海外で盤石なものにする。そのためには、これまで以上の営業活動や後継者の育成、そして“聞く耳”を持つことが重要になっていくと長澤さんは語ります。
長澤 若い連中にも口うるさく言っているのは、今はもう作っているだけの職人では駄目だということです。必ず販売を視野に入れないといけない。市場も、デパートや海外など、いろんなところに目を向けていかないと。そのためには、やっぱり“聞く耳”を持たないといけませんね。第三者の意見がものすごく重要になるということに気がつくのに、私はかなり時間がかかりましたから(笑)。現代の職人は、伝統技術の習得はもちろんのこと、時代の変化を受け入れていく柔軟性が何より大事だということを、次の世代には伝えていきたいですね。
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職人だからこそ、“聞く耳”を持つ。その言葉を信条に、鍛金の可能性を追求し続ける長澤さん。新しい挑戦は、まだ始まったばかりです。
取材協力=長澤利久(長澤製作所)
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