アートとカルチャーの聖地
。街ゆく人が主役になる都
市 想いが見える「池袋」
アートとカルチャーの聖地。
街ゆく人が主役になる都市
想いが見える「池袋」

2019.03.14

東京有数の繁華街「池袋」。駅の周辺には「東武百貨店」の池袋本店や「サンシャインシティ」、「池袋演芸場」、「東京芸術劇場」といった大型商業施設や芸術・文化の拠点が集まり、昼夜問わずにぎわいを見せています。一方で、少し歩けば住宅や学校、公園がある住みよい街でもあるのです。

また最近では、マンガやアニメといったサブカルチャーの発信地としても国内外から注目を集めています。そんな多様性にあふれた大都市「池袋」の今までの歴史とこれからに迫ります。

“巨大ターミナル駅”池袋駅の歴史

池袋駅は、都内屈指の巨大ターミナル駅です。JR東日本では新宿駅に次いで第2位、私鉄・地下鉄では第1位の乗客数を誇ります。8路線が乗り入れ、1日あたりの平均利用者数は約264万人を超えます。都内のみならず、埼玉方面からの利用客が多く、県境の窓口を担っていますが、駅開業当初は原野風景が広がり、人が集まるような場所ではありませんでした。

池袋駅が開業したのは1903年(明治36年)。当時、品川駅〜赤羽駅間を結ぶ「日本鉄道品川線」に、田端駅と直結する路線を設ける構想が生まれ、新駅開業の土地として池袋に白羽の矢が立ちました。当時の鉄道は貨物輸送を目的としていたため、「周辺に人家がなく利用者が見込まれない駅であっても問題がない」という消極的な理由で選ばれたのです。

1914年(大正3年)には東上鉄道(後の東武東上線)、1915年には武蔵野鉄道(後の西武池袋線)が開業したことで利用者は増えたものの、池袋駅周辺の開発は長らく足踏み状態が続きました。

点在していたサブカルチャーがつながる変革期の到来

池袋が繁華街へと変貌するきっかけは、1935年(昭和10年)の「菊屋デパート」の開業でした。これを皮切りに1940〜60年代にかけてデパートが続々とオープンし、池袋は急速に発展していきました。家電量販店のCMソングで「東が西武で西、東武」と歌われたことでおなじみの両デパートは今も健在です。

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「サンシャイン水族館」名物の“天空のペンギン”。ペンギンが泳ぐ水槽を真下から見上げることができる

東口のランドマーク的役割を果たすサンシャインシティは、副都心計画の一環で1978年に竣工し、マンションまで有する日本初の複合都市施設としてオープンしました。商業施設やホテルにとどまらず、水族館やテーマパーク、コンベンションホールまで有しています。ここまでさまざまな機能が集約されている施設は、当時では他に類を見ませんでした。

そして池袋は、もう一つ、“アートの街”という側面も持っています。大正〜終戦期にかけて、池袋駅以西にはいくつものアトリエ村(貸し住居付きアトリエ群)が形成されました。多くの芸術家が芸術活動の拠点としており、その一帯やカルチャーを指して「池袋モンパルナス」と呼ばれていました。また、やや池袋駅からは外れるものの、豊島区には『鉄腕アトム』の手塚治虫や『ドラえもん』の藤子不二雄といった、著名な漫画家が居住していた「トキワ荘」という木造アパートがあり、漫画の聖地として有名です。

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トキワ荘跡地には家屋のオブジェとともに石碑が建てられている

国内最大手のアニメ・コミック・ゲーム関連の販売ショップ「アニメイト」本店も池袋にあります。2000年のリニューアルに伴い女性向けの商品が充実したことによって、近隣にも女性向けに特化したショップが拡大しました。サンシャイン前交差点から東池袋三丁目交差点までの一帯は、通称「乙女ロード」。アニメを愛する女性たちのショッピングスポットです。

2014年に動画サービス「niconico」のアンテナショップ「ニコニコ本社」が池袋に移転したことも象徴的な出来事です。サテライトスタジオやイベントスペースはユーザーに向けて開放されたコミュニケーションスペースとなっており、豊島区長に「池袋の夜明け」と言わしめました。

さらに、同動画サービスが協賛する「池袋ハロウィンコスプレフェス」は、見る人・撮る人・着る人が平和的に参加できるイベントとして定着しつつあります。このように、これまで点在していたサブカルチャーを、街全体が一体感を持って盛り上げる気運が高まってきています。

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安心して楽しめる、地続きの池袋へ

しかし、そういった独特な文化に染まった街は、ともすれば若者など一部の人だけに受け入れられるものではないか、という懸念も生じます。また一方では、池袋駅の乗客数は国内トップクラスでありながら、実は池袋駅周辺の市街地へ足を運ぶ人は多くない、という課題もあります。駅利用者の大半は駅を乗り換えに使うか、駅直結の百貨店やショッピングモールの利用で完結する、ということが指摘されてきました。このことから池袋は「駅袋」と揶揄されることもありますが、繁華街と住宅地が近接していながら、街の活気が地続きになりにくい印象は否めません。

長年指摘されてきたこの問題を解決するため、豊島区は池袋特有のカルチャーを主軸としながら、新たな文化芸術の核となる映像や音楽、娯楽など創造的な産業に注目。現在、駅周辺エリアを盛り上げるために大規模な再開発が行なわれています。

2015年には、官公庁舎と民間住宅が一体化した豊島区の新庁舎「としまエコミューゼタウン」が竣工。総事業費は驚異の435億円という数字ですが、公共施設ながら税金を一切かけずに建てられたというのです。隈研吾建築都市設計事務所によってデザインされた自然を感じる印象的な外観もさることながら、翌2016年には新庁舎と池袋駅までの間にある南池袋公園も、開放的で広大な敷地にカフェが整備され、その一体に、新たな息吹を吹き込んでくれています。

さらに2020年の東京オリンピックに向けて、東口にはホールや映画館など8つの施設が入る「Hareza」が、池袋西口公園にはパブリックビューイングやオーケストラを鑑賞できる「劇場公園」が完成予定です。

これらは、文化交流機能などを備えた市街地を形成し、駅周辺、さらには地域全体の防犯性・防災性の強化を図るものでもあります。同時に、高齢者や障害者、子どもの見守り、子育て支援など、地域が抱える課題の解決に向け、商店街を活用した拠点づくりも進められています。

テレビドラマ「池袋ウエストゲートパーク」の舞台となった池袋西口公園の周りには囲いが立ち、改修工事が進められています。池袋は誰にとっても優しく安心な街へと大きな様変わりの時を迎えているのです。

池袋駅西口に構える「東京芸術劇場」(画像右)と「池袋西口公園」(画像左)。東口とは対照的な落ち着きとアーティスティックな雰囲気を醸し出す

観光で訪れる人にとっても、住む人にとっても安心できる街づくりは、より自由な往来を可能にしてくれることでしょう。しなやかにアートを楽しみ、そこにいる誰もがアートとカルチャーの当事者となれる池袋……そんな未来は、もうすぐそばまで来ています。

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