「はっけよい、のこった!」。日本人なら誰もが知る掛け声。そう、「相撲」です。まわしを締めた大柄の男が体ひとつでぶつかり合う潔さや「土俵から出るか手をついたら負け」といった分かりやすい勝敗のつけかた、短時間で勝負が決するテンポの良さなどから高い人気を誇っています。また最近では、そんな相撲の潔さや力士の勇姿に惚れこみ、推し力士の追っかけをしたり積極的に相撲観戦をする女性、通称「スー女」の出現も話題です。
ただ、実際の取組を生で見たことがある人は、実は少ないかもしれません。そこで今回は、生で見る相撲の魅力についてご紹介します。歴史や伝統など、知っておけばより楽しめるネタを含めて、相撲のあれこれに迫ります。
日本神話の力くらべから始まった相撲
相撲の起源は、神話の時代までさかのぼります。古事記には、建御雷(たけみかづち)神と建御名方(たけみなかた)神の力くらべにより国ゆずりが行なわれたと記され、日本書紀には、垂仁天皇の御前で行なわれた「野見宿禰(のみのすくね)」と「当麻蹶速(たいまのけはや)」の力比べ伝説があります。これらは、相撲の始まりともいわれています。
こういった記紀にも記されているように、古くから娯楽や鍛錬として日本各地で行なわれていた相撲。徐々に、五穀豊穣を祈り神様に奉納される神事という側面も持つようになりました。奈良時代以降は、宮中行事「相撲節会(すまひのせちえ)」として執り行なわれ、この行事は300年以上も続くことになります。
宮中行事としては徐々に廃れますが、神事や鍛錬、娯楽としての相撲がなくなることはありませんでした。武士の世になってからは、特に鍛錬の意味合いが強くなります。戦国時代には、行司も登場し、徐々に現代の形に近づいていきます。
江戸時代に入ると、全国各地で寺社の造営や修復費用を捻出する勧進相撲が開催されるようになりました。江戸時代中期には、営利目的の興行が盛んに開催されるようになり、この勧進相撲興行の中心だったのが、両国の回向院。1768年(明治5年)に初めて開催され、寛政〜文政年間までの間、多くの人でにぎわっていました。1883年(天保4年)からは、春・秋2回の興行の開催場所となり、1909年(明治42年)に旧両国国技館が完成するまで、回向院で勧進相撲興行が続けられました。こういった背景から、今でも両国は相撲の聖地なのです。
勧進相撲興行が始まると、相撲をなりわいとする力士も出現。特に有名なのは、谷風、小野川、雷電の3大力士です。特に雷電は、「張り手」「鉄砲」「閂(かんぬき)」「鯖折り」が禁止された伝説が残るほどの強さを誇ったそうです。この頃には、相撲は歌舞伎と並ぶ庶民の代表的な娯楽となっており、現代の相撲の基礎もほぼ確立していきました。
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取組を観戦できる「本場所」と「巡業」
この江戸時代と変わらぬ相撲の迫力を肌で感じながら観戦できるのが、本場所と巡業です。本場所は奇数月に15日間開催。1・5・9月場所は東京、3月場所は大阪、7月場所は名古屋、11月場所は福岡で開催されます。
巡業は本場所がない月に開催されます。相撲の普及、地域の活性化、青少年育成を目的に開催され、地方自治体や商工会議所などの団体が勧進元(主催者)となります。春は関東・東海・近畿。夏は東北・北海道・信越。秋は東海・北陸・関西・中国・四国。冬は九州・沖縄という具合に、その名の通り全国を“巡”ります。
このように、さまざまな場所で開催されている相撲ですが、開催日数が最も多く、相撲の聖地とも称されるのが「両国国技館」です。ちなみに、国技館という名称ではありますが、厳密にいえば、法律などで相撲が“国技”として定義されているわけではありません。ただ、国民が愛着を持つという意味合いやその歴史を考えれば、相撲は“国技”といっても差し支えないでしょう。
大衆文化の名残を感じる観戦形式
両国国技館で相撲観戦というと、なんだか敷居が高い印象を受けるかもしれませんが、当日券もある自由席なら2,200円(2019年5月場所)で観戦できます。また、1階のマス席前列は1万1,700円、2階のイス席前列は8,500円と驚くほど高額なわけではありません。より近くで観戦したいなら、事前に通称「砂かぶり」と呼ばれる溜席がおすすめ。力士同士のぶつかり合いを間近で見られる贅沢な席ですが、販売は電話受付による抽選のみ。「力士等の転落による傷害の危険があります」といった注意書きまである特殊な席です。

実は相撲観戦はかなり自由。開場時間中なら好きな時間に来場でき、途中で席を立ってもOK。また、席での飲食もできます(溜席は不可)。テレビの相撲中継は、15:00からスタートしますが、取組自体は8:30頃から開始。午前中はデビューしたての力士による前相撲や序の口と呼ばれる若手の取組が中心です。
ここで番付についても触れておきましょう。相撲には番付と呼ばれる力士の力量や戦績によって評価される階級があります。大きく6つに区分され、下から序ノ口、序二段、三段目、幕下、十両、幕内の順に位が高くなっていきます。また、幕内の中でもさらに細分化され、横綱を最上位とし、大関、関取、小結、前頭が並びます。
この階級は、一般人でも服装を見れば見分けることができ、序ノ口~幕下は素足か黒い足袋に下駄か雪駄。十両以上は白い足袋に雪駄を履き、紋付きの羽織と袴を着ています。
力士は十両からが一人前とされているので、十両目前の幕下が登場する昼頃から観戦に来る人も多いようです。
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テーマパークのような両国国技館
両国国技館に到着したら早速取組を……と言いたいところですが、実は館内にはグルメやエンタメのスポットが沢山あります。せっかくなので、楽しみたいところ。
必ず食べたいのは、毎日2,000杯以上売れるという、地下大広間での「相撲部屋特製ちゃんこ」。場所ごとに担当の相撲部屋が変わるため、場所中に何度か味が変わるそうです。ちなみに、ちゃんこは2階のレストラン「雷電」でも食べることができます。席で楽しめるグルメといえば国技館名物の焼鳥。なぜ焼き鳥が国技館名物なのかというと、相撲は土俵に手をつくと負ける競技なので、2本足で立ち、決して地面に手をつかない鶏は縁起が良いからなのだそう。そして、この焼き鳥、国技館の地下工場で作られているというトリビアつきです。
ぜひともお土産に持って帰りたいのは、老舗和菓子店「庄之助」の「庄之助最中」。最中の形が行司の執る軍配の形をしており、国技館土産にピッタリです。

また、1階には相撲博物館があり、年に6回テーマを変えながらさまざまな展示が行なわれます。ここで歴史などを知っておくと、これからの観戦がさらに楽しくなりそうです。
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迫力と熱気に圧倒される取組
ひとしきり両国国技館を堪能したら、いよいよ観戦です。まずは、1部50円の番付表を手に入れましょう。最初の見所は、幕内力士の土俵入り。色鮮やかな化粧まわしを締めて土俵を一周。江戸時代から変わらず脈々と受け継がれる土俵入りは、相撲の様式美、そして伝統が息づく日本の文化。その所作は美しく厳かであり、これから始まる荒々しい取組に向けて静かに興奮を高めていきます。
相撲の良いところは、知識がなくても勝敗が分かるところ。しかも、取組自体は30秒程度で勝敗が決まるので、中だるみもせずにテンポ良く観戦することができます。
もちろん、決まり手や力士の得意技を知っていればより楽しめます。日本相撲協会のホームページには力士のプロフィールが掲載されており、十両からは所属部屋や出身地、生年月日、得意技、決まり手の傾向などが載っているので、スマートフォンなどで確認しながら観戦しても面白いでしょう。また、ラジオで中継を聴きながら観戦すると、より分かりやすく観戦することができます。
幕内の取組の前には、横綱の土俵入り。右に太刀持ち、左に露払いを従え土俵に上がり、柏手を打って四股を踏み邪気を払います。しめ縄をつけたその姿は、神々しくさえあります。
テレビでも迫力がある取組ですが、実際に見る力士の体躯には圧倒されること間違いなし。巨体同士がぶつかりあう迫力や熱気、音を感じれば、古来、これを神事として奉納したくなる気持ちも理解できます。
江戸時代から変わらぬ姿で続く相撲。そこには、ただ闘うだけでなく、日本文化の様式美を垣間見ることができます。年を重ねてから触れると、若い頃には分からなかった面白さを見出すことができるのではないでしょうか。
※2019年6月17日、最新の情報に合わせて加筆修正しています
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