盛岡市から日本へ、世界へ
。南部鉄器の新たな価値を
育む田山貴紘のモノづくり
盛岡市から日本へ、世界へ。
南部鉄器の新たな価値を育む
田山貴紘のモノづくり

2019.02.28

岩手県盛岡市で、職人だった父の「南部鉄器」の技術を守り、現代に即したカタチで提案・制作している南部鉄器職人・田山貴紘(たやま・たかひろ)さん。なぜ父と同じ南部鉄器職人の道に進もうと思ったのか、今回はそんな田山さんのモノづくりに込める想いについて伺いました。

東日本大震災を乗り越えて芽生えた感情

400年以上続く南部鉄器の伝統を、南部鉄器の職人であり、現在は南部鉄器伝統工芸士会の会長でもある父親から受け継ぎ、新たな歴史を積み重ねている田山さん。しかし、当初は継ぐつもりは全く無かったそうです。

田山 10代の頃は早く家を出たいという気持ちが強かったんです。父は職人ですが、当時は普通のサラリーマンのように毎朝勤めていた老舗の鉄瓶工房に出掛けていたこともあり、自分としては“家業を継ぐ”という意識はありませんでした。

ーーそこで地元・岩手県を離れ、埼玉県にある大学に入り、大学院を経て食品メーカーに就職。営業として全国を忙しく飛び回っていたそうです。それがなぜ、一転して家業を継ぐことになったのでしょうか。

田山 二十歳を過ぎてから漠然と、自分が本当にしたいことは何なのかを考えるようになりました。さらに入社5年目の年、盛岡市に住んでいた交際相手と入籍したことで「これからのことを考えると岩手に戻るというのも一つの選択肢だな」と思うようになったんです。

爽やかな雰囲気とは対照的に、南部鉄器に込める熱いモノづくりへの想いを語る田山氏

ーー入籍したのは2011年2月28日。その11日後にあの東日本大震災が東北を襲いました。

田山 居ても立ってもいられず、すぐにボランティアとして気仙沼の大島へ向かいました。しかし仕事が忙しくて、結局その一度きりしか行けなかったんです。それですごくもやもやして。他に地元のためにできることはないのか、自分には何ができるのか。そんな考えを思い巡らせるうちに「自分にしかできないことをやりたい」という思いがどんどん強くなっていったのです。そこで目に入ったのが南部鉄器でした。職人である父親は、作ることはできるけれど売る方は苦手。だったら自分が営業で培ってきたノウハウを活かすことで、何かできるのではないかと。

ーーそう考えた田山さんは2012年に岩手県に戻り、父親の下で修行を始めました。そして、翌年には自身が代表を務めるタヤマスタジオ株式会社を設立します。

田山 この世界に入るきっかけそのものが、職人を目指す他の人と少し違っています。もちろん南部鉄器の持つ価値やポテンシャルは魅力的だと感じていましたが、自分の役割はただ鉄器を作ることだけではないとも認識していました。技術を身に付けることと並行して、自分にしかできない事業を進めるための母体を作る必要があると思ったんです。

工房では目の前の鉄器と向き合う職人たちの姿が。妥協を許さない姿勢がひしひしと伝わってくる

ーー父親の下で修行し、南部鉄器の技術を学ぶ。それと同時に、南部鉄器を通して「自分にしかできないこと」をやるための舞台を作った、というわけです。

田山 昔から鉄器は全国各地で作られていましたが、現在残っているのはわずかな産地のみです。南部鉄器はお茶を嗜む上流階級のために盛岡藩が長年支援していたため、他では見られない高い技術力が蓄積されてきました。また、鉄や粘土、砂といった鉄器を作る上で必要なものが全て地元で手に入るという地理的なメリットもあり、400年以上に渡り受け継がれてきたのです。

ーー南部鉄器は、その技術力の高さゆえ、武器の材料となる鉄が不足し、多くの寺院から釣り鐘が回収された太平洋戦争時代でも、南部鉄器の鉄瓶の制作が認められていたという逸話もあるようですね。

田山 そうです。ところが戦後の大量生産の波にもまれて方向を見失ってしまった。当時の「どうやれば安くできるか」「さびない鉄瓶を作れば売れるんじゃないか」といったアプローチは間違っていたのではないかと思います。

変化する時代に合わせたブランド「kanakeno」の立ち上げ

ーー今はパラダイムシフト(これまで当然と考えられていた認識・価値観が劇的に変化すること)が起きていると、田山さんは感じています。ものがあふれるようになって、豊かさの定義が変わりました。それに応じて「欲しいもの」の定義もかつてとは違うというわけです。

田山 父親の世代なら鉄瓶はいろりなどと共に思い浮かべる「昭和」のイメージですが、もう昭和が終わって30年以上経ちます。いろりも鉄瓶も知らない人がどんどん増えてきています。そういう人達からすると鉄瓶は昭和の象徴ではなく、「IHクッキングヒーターに使える新しいポット」という捉え方だってできるのです。

ーーいろりも鉄瓶も知らない世代から「おしゃれでカッコいい」と認められるにはどうすればいいのか。そこで田山さんは、2017年に自身の新しいブランド「kanakeno(カナケノ)」を立ち上げました。

「カナケ」とは、鉄器で湯を沸かすときに染み出る赤黒い「金気(かなけ)」と呼ばれる渋のこと。それは“さび”のサインです。しかし鉄器は、手入れをしながら使っていくことで段々とさびなくなっていきます。そんなふうに“さび”をネガティブに捉えず、自分の鉄瓶を「育てる」価値を伝えたいという意味が込められています。

可愛らしい桜模様が施された「さくらふぶき」。まるっとしたフォルムが特徴的な鉄瓶だ

田山 「kanakeno」は商品一つひとつにシリアルナンバーをつけてメンテナンスサービスを行なっています。使っている間に万が一さびたり着色がはげても安心して使い続けてもらえるよう、無料で2回保守修繕するサービスを提供しているんです。鉄瓶の経年変化を楽しんでみませんか、という提案でもあり、今後の人々が求める暮らし方にも通じる考え方です。

ーー実は、鉄瓶で沸かした白湯には鉄分が溶け出すので貧血予防になる他、水道水などに含まれるカルキ(塩素)がほとんど抜け、とてもまろやかな味に変わります。このことから、日本とは水道事情の異なる中国で販売数を伸ばしているようだ、と田山さんは語ります。

現在は元舞台プロデューサーや大手厨房機器メーカーの元経営企画など、震災の復興時に知り合った人々と共に、東京のバーで鉄瓶を使ったホットカクテルのイベントを行なうなど、「kanakeno」を通して南部鉄器を広める活動を積極的に展開している田山さん。400年以上続く伝統工芸・南部鉄器の魅力を、日本の、さらに世界の人々に知ってもらおうと日々奮闘中です。

次世代につながる「自分にしかできないこと」

だから田山さんの目下の目標は南部鉄器の海外販路を広げること……と思いきや、実は南部鉄器のように日本各地で埋もれている“価値”を掘り起こし、磨いていきたいのだといいます。

田山 地元だけでなく、日本には地域に埋もれている、あまり知られていない“価値”がたくさんあると思います。それを一緒に見いだして磨いてくれる人材もいるはずです。

ーー最近、高校卒業予定の生徒から「南部鉄器の職人になりたい」と書かれた履歴書をもらったそうです。食品メーカーの営業だった田山さんが、伝統工芸とは直接関係のなかった人々と共に、南部鉄器に対して今までにないアプローチを続けていることで、次世代へのつながりも見えてきました。

寒さ厳しい北国・岩手県には、雪を溶かすほどの熱意と想いを持ってモノづくりを続ける職人の姿があった

このつながりを南部鉄器だけでなく、もっと日本中にある隠れた“価値”に応用できないか。それが田山さんの「自分にしかできないこと」のようです。

取材協力=田山貴紘(タヤマスタジオ株式会社)

 

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