厳かに時代を見守る趣深い
赤煉瓦建築 世界に誇る日
本の玄関「東京駅」の歴史
厳かに時代を見守る趣深い赤
煉瓦建築 世界に誇る日本の
玄関「東京駅」の歴史

2019.02.21

東京駅は、今や日本のみならず世界各国から観光客が訪れる観光名所。丸の内周辺に通勤するビジネスマンの足としての機能はもちろんのこと、駅の中に構える数々の専門店や周辺の商業施設などがひしめき合い、経済の中心「東京」の玄関口として日々進化し続けています。

クリスマスシーズンに実施されるイベント「東京ミチテラス」も恒例となり、趣深い赤煉瓦の建物と幻想的なイルミネーションのコラボレーションが人々の目を惹き付けています。改札内には、限定グルメやお土産店などの専門店が軒を連ねる「グランスタ」や「エキュート東京」、「エキュート京葉ストリート」が。改札外には世界的な人気を誇るアニメや漫画のグッズを集めた「東京キャラクターストリート」や東京の“今”を具現化した店内が特徴的な「大丸百貨店」、日本郵便が運営する商業施設「KITTE」などが林立しています。

見渡せば、休憩時間に少し足を伸ばしてランチするビジネスマンや、自撮り棒を掲げて記念撮影する女子大生の姿も。常に変化し続ける東京の姿を求め、カメラを構えた外国人観光客も目立ち、連日多くの人々でにぎわっています。

では、現在のオフィス街と観光名所が共存するようになった背景にはどのようなストーリーがあるのでしょうか。今回は「東京駅」の知られざる歴史に迫ります。

激動の時代を乗り越えた赤煉瓦建築

慌ただしく通り過ぎる私たちを悠然と見守る東京駅丸の内駅舎。その建造がスタートしたのは、今から1世紀以上も前、1906年(明治39年)のことです。

設計を手掛けたのは、他に日本銀行本店や国会議事堂の設計に参画した明治建築界の第一人者、建築家・辰野金吾です。彼は、建築家人生の総決算となる東京駅でも得意の赤い煉瓦と白い花崗岩を交互に積むクイーン・アン様式のスタイルを採用しました。

人々の前に姿を現したのは、元号も変わった1914年(大正3年)の12月20日。赤煉瓦と白い石材、紅白の鮮やかなコントラストが目を奪ったことでしょう。ファサードは全長335m。ゴシック様式の垂直なフォルムを要所に取り入れてメリハリを利かせ、南北の両サイドにはドームを備えて落ち着きも醸し出しました。

クイーン・アン様式が美しい東京駅中央駅舎。空の青と植栽の緑が相まって見事なコントラストを演出する

東京駅は日本近代の歩みを静かに見守ってきました。1921年には首相・原敬が暴漢に襲われ絶命する現場に。1923年には関東大震災の激震に見舞われました。神田、上野、新橋などの駅舎がことごとく倒壊、炎上するなか、丸の内駅舎はほとんどダメージを負うことなく立ち続けました。頑丈に基礎が築かれ、鉄骨と煉瓦積みが入念に行なわれた成果です。

そんな東京駅も戦災にはかないませんでした。1945年の大空襲で2つのドームは焼け落ち、3階の大部分も消失してしまったのです。しかし、鉄道機能がストップしたのはたった2日間だけ。鉄道センターの中核として機能し続けたのです。終戦後は2年余りをかけて復旧作業が行なわれ、1947年3月、復興のシンボルとして新たな姿を現しました。

当時はあくまで応急処置としての建て付けでしたが、駅舎は首都の交通の中心として一日も休むことなく、その後60年以上も立ち続けることになりました。その姿は、戦後の復興から高度経済成長期、オイルショック、バブル経済と崩壊……慌ただしく動き続けた日本経済、ビジネスパーソンの姿とも、どこか似ているように思います。

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駅舎取り壊しの危機を救った市民の愛

震災や戦災に見舞われながら歴史を重ねてきた東京駅ですが、バブル経済最盛期の1987年に本格的な改築が考えられたこともありました。この年は国鉄が分割民営化され、主要駅の再開発プロジェクトが活発化したためです。

その頃、東京駅では、京葉線地下駅が開業し、中央線のホームは高架となって重層化。東北・上越新幹線の乗り入れも始まりました。交通の要衝として高度な整備が進む中、丸の内駅舎を取り壊し、ホームを拡充するという内容でした。

そんななか、再開発にストップ!という声を上げたのは東京駅を愛する市民たちの声でした。ちょうどこの頃、東京駅と市民の距離を縮めるさまざまな活動があったのです。クラシックコンサート「エキコン」の開催や、空きスペースを活用した絵画展が企画され、大成功を収めていました。これらの活動によって、東京駅は「市民が文化をシェアする場」として認められるようになりました。

ドームの天井裏には創建当初のレリーフや大鷲の彫刻が施されている

そういった中、人々からJR東日本に対して「丸の内駅舎の保存要望書」が提出され、「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」が発足しました。一般市民はもちろん、俳優や文化人、芸術家など360名以上が参加。署名数は10万名以上に上り、国会でも保存問題が取り上げられるほど、熱気は高まっていきました。

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想いをつなぐ丸の内駅舎

「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」の地道な活動の結果、1999年、丸の内駅舎の保存復原プロジェクトが始動。現存する駅舎の外壁など主要な部分を可能な限り保存・活用し、創建時の3階建ての姿に復原することにつながりました。

外壁、銅板のドーム屋根が創建当時と同様に生まれ変わり、赤煉瓦は開業時と同質のものが約40万個も用意されました。伝統を守りつつ、安心・安全をしっかり担保した21世紀スタイルが完成し今に至ります。

日本の近代から現代への変遷を見守ってきた東京駅は、こうして歴史的建造物と最先端の建築技術が融合し、復原されました。

ギャラリーが併設された北側ドームでは東京駅の歴史を学ぶことができる

東京駅はさまざまな人の想いが積み重ねられ、今日の活気あふれる姿になりました。時代とともに進歩を重ね、商業施設やホテル、オフィスビルなどが建設。いくつもの歴史、物語がここで紡ぎ出されてきました。

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人々を惹き付け、時を重ねつづける赤煉瓦駅舎を未来へ

そのたたずまいは多くの人の心を今も惹き付け続けています。東京駅は語り継いでいきたい歴史的な遺産であり、そして現在進行形で未来へ進む建物でもあります。

創建から100年を越えて甦ったドームからは、次の100年が展望できるかもしれません。人々の歩みを、日本経済の発展を見守り続けてきた赤煉瓦駅舎は、新たな未来に向け、今日も人々のにぎわいのなかで時を重ねています。

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