世界一の乗降客数を誇る日本随一のターミナル駅、新宿。広大な面積とその複雑な構造から「巨大迷路」と言われることもあります。そんな新宿駅が、駅周辺の建物を建て替え、複雑な動線を根本的につくりかえる再開発計画「新宿グランドターミナル構想」によって、“歩きやすい駅”へと変わろうとしています。
新宿という街が、交通や建築物とともにどのようにアップデートされてきたのか、そしてこの先どのように変わっていくのか、新宿の歴史と再開発によって変わる未来を見ていきましょう。
天災や戦争を乗り越え、商業地として発展した新宿
街としての新宿の始まりは、甲州街道の宿場町として1698年(元禄11年)に誕生した「内藤新宿」です。内藤新宿は、現在の新宿一丁目〜三丁目を中心に、物流拠点として発展しました。
時は経ち、1885年、日本鉄道品川線(現:山手線)開業の一環として、現在のルミネエストの位置に内藤新宿駅がつくられます。ところが、盛り場の外れに位置していたため、開業当時の利用客は1日50人程度だったといいます。
しかし、大正期に入ると、利用客は徐々に増えていきます。京王線など私鉄の乗り入れが増加したこと、そして利用客が急増する大きな理由となったのが、1923年に起きた関東大震災です。震災をきっかけに、人々は地盤の強い郊外へと流れていきます。そこで、東京の西側から都心に乗り換えなしで唯一アクセスできる中央線を利用しようと、新宿駅に多くの人が集中するようになったのです。
1927年には、1日あたりの乗降客数日本一の駅にまで成長。さらに現在は「世界一乗降客数の多い駅」としてギネス世界記録に認定されています。

5社局・11路線が乗り入れる“マンモス駅”
一時は、太平洋戦争で壊滅的な被害を受けた新宿ですが、戦後、闇市が繁盛して街の復興を後押しします。その名残が、新宿駅東口の「歌舞伎町」と、西口の「思い出横丁」です。
復興とともに徐々に闇市は姿を消していき、1950年頃からは小売店も次々と再開・新規開店していきます。東口方面を中心に、新宿駅周辺の商店街は戦前にも増して活気を取り戻していったのです。
さらに、1955年からは丸井、小田急、京王などの百貨店が続々と開業し、現在見られるような新宿の商業地の風景がつくられていきます。こうして、駅を中心として、新宿の街は構成されていきました。

昭和の風情が残る「思い出横丁」。数十軒の飲食店や居酒屋が軒を連ね、日々にぎわいをみせる
1964年には、木造2階建てだった紀伊國屋書店が、コンクリート造りの紀伊國屋ビルとして生まれ変わりました。紀伊國屋書店の創業者・田辺茂一が「新宿に文化交流の場を」という想いから、建築家の前川國男に設計を依頼して誕生したビルなのです。正面から裏面に抜ける街路のような空間設計は、建築物の可能性を広げたとして高く評価されたといいます。また、建物1階の広場は今も昔も人々にとって絶好の待ち合わせ場所となっています。
ビルとともに開業した紀伊國屋ホールは、若手演劇人の登竜門となり、見世物小屋の要素を取り入れた独自の表現手法・アングラ演劇の流行にも一役買いました。
都市環境と調和したこのビルは高く評価され、“東京都選定歴史的建造物”に選定されています。紀伊國屋ビルは戦後復興からまた一歩先に進んだ「新宿文化」の象徴といえるでしょう。
副都心開発によるオフィスビル街や地下鉄網の拡大
1970年代より、西新宿方面を「新宿副都心」と銘打ち、新たに開発が行なわれていきます。1971年の京王プラザホテル本館を皮切りに、新宿住友ビル、KDDIビル、新宿三井ビルなど、超高層ビルが次々と西口エリアに林立。さらには1991年に東京都庁新庁舎が完成し、今日の大オフィス街が形成されていきました。

二棟のビルがつながっている特徴的な「東京都庁」。周りのビル群の中でもひときわ目立つ新宿のシンボルになっている
1990年代以降は地下鉄網がさらに発展し、丸の内線、大江戸線、副都心線の新駅が新宿に登場しました。地下鉄網の広がりとともに地下通路・地下街も拡充し、新宿駅の地下通路の全長は2,750mで、東京駅に次いで全国2位になっています。
階段の昇降や枝分かれした複雑な通路、改札・出口の多さは、観光客や初めて訪れる人を惑わせると有名で、これこそが新宿駅を「巨大迷路」と言わしめるゆえんです。
しかし、こういった地下街が新宿という街の文化を彩ってきたのもまた事実。この広大な巨大迷路が「新宿グランドターミナル構想」によって利便性を向上させ、新たな人の流れと文化を生むことを期待せずにはいられません。
国際都市・交通のハブとして成長する新宿
新宿の東側に位置する歌舞伎町は、アジア屈指の繁華街として知られるようになります。一時は治安の悪さが問題になりましたが、現在は客引き防止のアナウンスや警察官の巡回などが推進され、徐々にクリーンな街づくりが進んでいます。
新宿コマ劇場跡地にはTOHOシネマズとホテルの複合施設が建ち、近隣にはVR ZONE、謎解きアトラクション、大型ナイトクラブなど、新しい娯楽スポットが続々と登場しています。
また、歌舞伎町の北側には若者や外国人に人気のコリアンタウン・新大久保があります。
近年の韓流ブームもあり、韓国コスメやグルメなどが堪能できるお店が数多く集まっていることから女性に大人気の街となっています。
新宿の駅ビルでショッピングし、歌舞伎町で娯楽に興じ、新大久保で韓国料理に舌鼓を打つ…。
新宿は“文化のグラデーション”を満喫できる街といえるでしょう。

“眠らない街”歌舞伎町。飲み屋街として有名な新宿ゴールデン街もあり、「東洋一の歓楽街」とも呼ばれている

2016年に新宿駅南口に誕生した「バスタ新宿」。新宿駅と直結しているためシームレスなアクセスが可能に
近年、新宿駅南口にも「NEWoMan」「新宿ミライナタワー」といった新たなシンボルがいくつも誕生しています。とくに、高速バスターミナル「バスタ新宿」は、点在していた高速バス乗り場を一カ所に集約したことで、地方や空港からのアクセスの利便性を向上させました。
長年にわたって新宿駅西口のランドマークの1つだった小田急百貨店 新宿店本館は2022年10月に営業終了。新宿ミロードは2023年3月にモザイク通りとモール2階部分が営業終了となり、地上48階の大型複合施設へと生まれ変わることが発表されています。
同じく西口の京王百貨店も、地上37階の大型複合施設へと再開発されることが発表されています。
新宿グランドターミナル構想では「駅とまちの連携を強化する重層的な歩行者ネットワークの形成」が掲げられており、西口の再開発においても歩行者中心のネットワーク構築が計画されています。
2つの大型複合施設の計画に合わせて整備される駅前広場も、現在は自動車が中心のロータリーとなっていますが、再開発によって歩行者の回遊性向上など“人中心”の広場となります。
こられの施設は2020年代後半から続々と竣工予定で、今見られる西口の景色が大きく変わることが予想されます。

新宿駅西口のシンボル的存在である小田急百貨店(左)と京王百貨店(右)
また、歌舞伎町にも新たなスポットが誕生。2023年4月に「東急歌舞伎町タワー」が開業しました。
「東急歌舞伎町タワー」は新宿東宝ビルのすぐ近くで、映画館や劇場、ライブホールなどのエンターテインメント施設やホテル、飲食店からなる大型複合施設です。

地上48階・地下5階、高さ約225mの大型ビル「東急歌舞伎町タワー」
その他にも地下通路の整備や南北400mにわたる空中回廊「スカイコリドー」など、「新宿グランドターミナル構想」によって街全体がさらに進化しつつあります。
今見られる景色は、数年後にはまったく別のものになっているかもしれません。ぜひ“日本の摩天楼・新宿”のこれまでの歴史を振り返りながら、街の変化を体感してみてください。
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