レトロとモダンが交わる異
文化交流の発信地「横浜赤
レンガ倉庫」
レトロとモダンが交わる異文
化交流の発信地「横浜赤レン
ガ倉庫」

2019.02.14

情緒をかき立てる汽笛の音が鳴り響く横浜。日常を忘れさせてくれる港町の風景が広がるこの地で、ひときわ目を引くランドマーク。それが「横浜赤レンガ倉庫」です。

もともとは明治末期から大正初期にかけて建設された国営の倉庫ですが、現在は国内外の観光客を集める横浜きっての観光スポットとして知られています。

倉庫内部はレストランや雑貨屋、アパレルショップなど、実に60店舗以上が店を構える複合商業施設になっており、その落ち着いた外観からは想像できないほどの活気に溢れています。2棟の倉庫に挟まれた広場では、「オクトーバーフェスト」や「Art Rink in 横浜赤レンガ倉庫」などのシーズンに合わせた催しが一年を通して開催されています。なかでも、横浜市がドイツ・フランクフルトとパートナー都市であることから始まった「クリスマスマーケット in 横浜赤レンガ倉庫」は多くの観光客が訪れる大人気のイベントです。

また、近年ではデートコースの目玉として多くのカップルが訪れます。横浜の街を巡った後、赤レンガ倉庫2号館の2階に設置された“幸せの鐘”を鳴らして愛を誓い合う……なんてロマンチックな使われ方も。

いずれにしても、倉庫として作られた建物が、なぜいまだに多くの人を惹き付けているのでしょうか? 歴史をひもときながら、その秘密を探ってみましょう。

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古いのに古くならないモダン建築の美

横浜赤レンガ倉庫は横浜新港埠頭の施設の一つ、横浜税関の保税倉庫として建てられました。つまり、近代日本を支えるロジスティクスの一大拠点として始まったのです。そもそも、この一帯は日本最初の近代的な埠頭として整備されたいきさつがあります。横浜を散歩していると「ガス灯発祥の地」「アイスクリーム発祥の地」「電話交換創始の地」など、「日本初」をうたう石碑を多く目にします。鎖国から解き放たれ、海外の風が吹き込んだ横浜という地では、倉庫ですらモダンなフォルムを身にまとったのも自然な流れなのでしょうか。

設計を手がけたのは明治建築界三大巨頭の一人とうたわれた妻木頼黄(つまき・よりなか)。鉄材で補強した煉瓦造りは当時の最新技術の集大成といわれており、スプリンクラーなどの防火設備、日本初の荷物用エレベーターなど最新設備が惜しげもなく投入されました。

もちろん、実用性だけではなくデザインも秀逸です。1号館(一号倉庫)と2号館(二号倉庫)でがらりと趣向を変えるモダンさが光ります。ここで、建築作品としての横浜赤レンガ倉庫をクローズアップしてみましょう。

全長約150mに及ぶスケールが横浜赤レンガ倉庫の特徴ですが、その大きさが維持されているのは2号館のみ。建築当初は1号館も同じ規模を誇っていましたが、1923年の関東大震災で1号館は半壊し、やや短めのサイズになりました。

赤レンガ倉庫2号館。3つのブロックが組み合わさったモダンな倉庫。屋根に設置された避雷針までもが美しい

2号館の南側を歩きながら、ファサードを見上げてみましょう。2連の窓がずらりと並んでいますが、平板な印象はまったくありません。まず、目に留まるのは突き出した三角屋根が特徴的なブロック。上へと伸びやかさを与えています。そして、周りの造りと比べて幅が狭い階段室のブロックがメリハリを与えつつ、屋根の下にぴたりと収まる赤煉瓦が安定感を醸し出しています。これらの3ブロックがリズミカルに並べられているので、長大に伸びる倉庫が遊び心を持ち、変化に富む外観になっているのです。

赤レンガ倉庫1号館(画像右)。倉庫の色に合わせ、べランダや塔も同じ赤煉瓦色に着色されている

片や1号館はというと、こちらは広場とは反対の背面部分が見もの。2階、3階にある鉄骨のベランダに重厚感のあるハードな印象を受けますが、等間隔にそびえ立つ赤い塔がほのぼのとしたイメージを加え、二者の対比がどこかのんびりしたフォルムを生み出します。1号館と2号館で雰囲気をがらりと変えてデザインされているところを見ても、やはりただの倉庫ではありませんね。

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過去から今、そして未来へ想いをつなぐ赤煉瓦

赤レンガ倉庫が姿を現したのは近代日本の夜明け。膨大な物資、そして多くの人が行き交う一大物流拠点としてにぎわったことでしょう。しかし、その後には長く表舞台から姿を消すことになります。

太平洋戦争の終戦直後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が横浜税関に設置されました。そして、約10年にわたって横浜の港湾設備はアメリカ軍に接収されることに。横浜赤レンガ倉庫は日本の大衆から遠い存在になっていったのです。アメリカからの返還後も不遇の時代は続きます。いつしか、物流業界にはコンテナが主流の時代が到来。船舶物流の機能は横浜新港埠頭から、新しく整備された他の埠頭に移され、横浜赤レンガ倉庫も次第に活気を無くしていきました。そして1989年、ついに倉庫としての役目を完全に終えることになったのです。

長く眠っていた横浜赤レンガ倉庫にスポットライトが当たり始めたのは90年代でした。横浜市は歴史的景観を保全、活用するための「歴史を活かしたまちづくり要綱」を制定。古い建物を積極的に活用する取り組みを始めました。港町の発祥から横浜を見守ってきた横浜赤レンガ倉庫を残し、貴重な資産として活用しようという運動が始まったのです。国有財産だった倉庫を横浜市の所有とし、これまでの歴史的ストーリーを重んじながら、現代に即したカタチにパッケージしていく――。

こうして2002年、1号館はホールやギャラリーを備えた多目的スペースとして、2号館はレストラン、さまざまな業態の店舗を備えたショッピングモールとして生まれ変わり、人々の前に再びその姿を現しました。1号館、2号館とも創建当初のディテールを大事にしており、荷物を運んだスロープ階段も健在。一方で、板ガラスを用いたスタイリッシュな階段も設けられており、最先端と明治の建造物が自然に調和しています。歴史的な文化財でありながら、華やかなトレンドスポットでもある。矛盾しそうな要素が巧みに融合しているのは、開国当初から海外に開かれてきた土地柄があるのでしょうか。

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一番奥がベイブリッジ、その手前が大桟橋。右手奥には山下公園に停泊する氷川丸も

建物を出て、外を歩いてみましょう。背景には大桟橋が構え、ベイブリッジも望めます。横浜にしかない風景に目を細めながら、後ろを振り返ると重量感・存在感たっぷりの横浜赤レンガ倉庫が。夜になれば暖色系のライトアップが赤煉瓦をやさしく照らし、何かが起こりそうな非日常感に胸が高鳴ります。

海と陸の接点として何かが始まる、何かと出会える港町で、過去・現在・未来を自由に行き交うことができるタイムマシーン。潮風を浴びながら、一歩また一歩と歴史を刻み続ける横浜赤レンガ倉庫は、そんな不思議な魅力を末永く放ち続けることでしょう。

※2019年6月19日、最新の情報に合わせて加筆修正しています

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