福岡市天神の街角に立つ、赤煉瓦の建物。シックながら堅牢なたたずまいを見せる「福岡市赤煉瓦文化館(以下、赤煉瓦文化館)」です。日本生命保険株式会社(現、日本生命保険相互会社)の九州支店として竣工した後、福岡市歴史資料館として市のアーカイブ機能を保有。現在は「福岡市をエンジニアの聖地に」という想いからエンジニアカフェとして活用されたり、若者のコワーキングスペースや展示会の場として市民に親しまれています。実に110年以上もの長きにわたって福岡市民と並走してきた重要な建物です。
さて、時代とともに名前を変えてきた赤煉瓦文化館は、一体どのような“時”を見つめ、どのような“ストーリー”を紡いできたのでしょうか。時計の針を1900年代初頭に巻き戻し、1個の煉瓦が積み上げられるその瞬間にプレイバックしてみましょう。
「辰野式」の特徴がいかんなく発揮された名建築
黒田長政が城下町を整備し、豊臣秀吉によって商人の街づくりが行なわれた福岡・博多。赤煉瓦文化館はその狭間の那珂川のほとりに建っています。中心街の天神交差点から約500m、明治期には商都として栄えたこの一帯には、銀行や商社、保険会社の九州支店が軒を連ねることになります。そこに着目したのが日本生命。当時、九州初の拠点として熊本に出張所を構えていましたが、支店の福岡移転を計画して1907年(明治40年)に起工。2年後の1909年(明治42年)には竣工し、華々しく落成式が執り行なわれました。
設計を手掛けたのは、東京駅 丸の内駅舎をはじめ多くの赤煉瓦建築を生み出した辰野金吾と、その弟子である片岡安がパートナーを組んだ辰野・片岡建築事務所。辰野・片岡のコンビは有形文化財に指定されている旧日本生命京都三条ビルなど、日本生命の支店社屋を数多く設計しています。もちろん、赤煉瓦文化館も煉瓦の赤と花崗岩のライトグレー、そして屋根を覆うスレートのダークグレーのコントラストが目に鮮やか。世に言う「辰野式」の建築美が存分に発揮されています。

外壁はゆるやかなカーブと多角形を織り交ぜた変化に富むフォルムで、窓の飾りを見ても四角形や菱形、円形とバリエーション豊富です。視線を上げると、センターにあるドームの上と、北西の小ドームの上にはバタフライの意匠が施された避雷針が。赤煉瓦の重厚な様式に目を奪われがちですが、じっくり観察してみると細部の意匠の美にも唸らされます。
建物の内外で目を奪う、細かな建築ディテール
南北に細長いイレギュラーな敷地に、地上2階・地下1階で圧倒的な存在感を見せる赤煉瓦文化館。
玄関は背の高いアーチと控えめながら目を惹くキーストーン、中間部が太くなったエンタシス調の石柱を組み合わせたデコラティブな外観で、作り込まれたエントランスの造形に期待が高まります。さっそく中に入ってみると、事務室(現、展示室)のカウンターがお出迎え。床は一面大理石張り、上部の壁や天井は漆喰塗りになっており、天神周辺の近代的なビル街から一転、明治ロマンにタイムスリップしたかのよう。1階と2階が吹き抜けになったホールに足を向けると、鉄骨と木を組み合わせた特徴的な階段があります。階段脇には開放感のある上下開きの窓が配置され、ホールへと温かい光を採りこみます。2階から塔屋へ上る階段は鋼鉄製の螺旋階段になっており、手すりの付け根に施された曲線が、無機質ながらもどこか柔らかい印象を与えます。
応接室(現、談話室)の暖炉はアール・ヌーヴォー調の曲線が印象的ですが、2階会議室の暖炉はスクエアなデザイン。凝った外観と同様、部屋もそれぞれに異なるモチーフで天井、暖炉が作り込まれているのです。一つひとつの素材や装飾に目を向けると、歴史の香りを存分に感じ取れることでしょう。
100年を経てなお、見る者を感嘆させる辰野・片岡コンビのデザインワークは圧巻。多彩な意匠を取り込みながら、時代を超えて愛され続ける建築物の魅力が赤煉瓦文化館には詰まっています。
過去から未来へ、思いをつなぐ赤煉瓦
さて、竣工から1966年(昭和41年)まで日本生命九州支店の社屋として利用されてきたこの建物ですが、1969年(昭和44年)に重要文化財の指定を受け、同年には福岡市に譲渡されます。その後、市の歴史資料館として活用された後、1994年(平成6年)に「福岡市赤煉瓦文化館」としてリニューアルを果たしました。
オフィスから資料館に、そして文化館へ。さまざまな姿を見せてきた赤煉瓦文化館ですが、ここで生きてくるのが天神の中心地という絶好のロケーションです。現在も大小3つの会議室が有料で利用でき、展示会や展覧会、句会、読書会など文化的催しの場として市民に広く親しまれています。
また、赤煉瓦文化館はただ歴史を重ねてきただけではありません。文化館として生まれ変わる際には内装の復原工事が行なわれ、2004年(平成16年)には3年を費やした大規模な修理工事が行なわれました。この際、屋根が銅板葺きから竣工当初のスレート葺きに復原され、往年の姿を取り戻したという経緯があります。
設計者である辰野金吾、片岡安の理念を受け継ぎ、守ってきた管理者、利用者として親しみながら建物を愛し続けてきた福岡市民、そして建築時の図面や古写真を参照しながら復原に挑んだ修復設計者たち。多くの人たちの想いが、煉瓦の一つひとつに込められています。

––揺るぎない美しさと味わい。時を越えても変わらない価値を未来につなぐ。人に優しく、あたたかい“赤煉瓦”にこだわりを持つセレコーポレーションの“想い”と重なります。
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■美しく堅牢な建築であれ。日本近代建築を支えた東京駅の生みの親「辰野金吾」