150余年続く足袋の老舗
。江戸の〝粋〟を感じる向
島めうがやのモノづくり
150余年続く足袋の老舗。
江戸の〝粋〟を感じる向島め
うがやのモノづくり

2019.08.29

1867年(慶応3年)、初代の長七さんが「めうがや足袋総本店」よりのれん分けを許されたのが始まりという「向島めうがや(読み:むこうじま みょうがや)」。現在は5代目の石井芳和さんと、息子であり、次期後継者の健介さんがその伝統を受け継いでいます。墨田区のシンボル・東京スカイツリーの麓で、150余年もの間守り続けてきた技と人情は、古くからの付き合いのみならず、若い世代の新たな顧客まで幅広い支持を集めています。今回はそんな向島めうがやの伝統を守り続ける芳和さん・健介さん親子に、モノづくりに対する姿勢や足袋に込める想いについて伺いました。

浅草から向島へ、絶大な支持を集めるめうがやの歴史

東京スカイツリーが存在感を放つ墨田区は、モノづくりの魂が根付く職人の街として歴史ある工房や製作所が数多くあります。その中でも、明治維新によって武士の世が終わりを告げる江戸時代末期、隅田川を臨む向島に店を構えたのが向島めうがやでした。当時は全国各地に当たり前のように店があったという足袋屋。ですが、時代の流れとともにその数は激減していったといいます。

穏やかな口調で向島めうがやの沿革を語る5代目・石井芳和さん。下町ならではの商売の特徴や、向島という土地の特徴を伺った

芳和 初代がこの商売を始めた江戸時代は、足袋は一人ひとり、それぞれの足に合わせて作るのが当たり前でした。墨田区のみならず全国各地には私たちのような足袋屋が多くあり、お店ごとにひいきにしてくれるお客様がついていたほどです。私は今年で67歳になりますが、父の元でこの仕事を始めた約40年前でも、全国各地にそうしたお店がまだいくつも残っていたと思います。

1867年(慶応3年)に初代・長七が浅草で商売を始め、2代目・七蔵を経て、3代目・由太郎の時にこの向島に移ってきました。向島といえば江戸を代表する花街の一つですから、今も界隈の花柳界(芸者衆)にはひいきにしてくれるお客様がたくさんいらっしゃいます。

ですが、時を経るにしたがって、大衆的な需要が減少。それとともに少しずつ同業者も減っていきました。一方で、お客様からすれば、お店ごとに履き心地が異なりますから、ひいきのお店がなくなったからといって別のお店で新たに作る、とはすんなりいきません。それを機にオーダー品を諦める方もいらっしゃるほどです。気が付けば、私たちのようなフルオーダーの足袋を扱うお店は全国でも数えるほどになってしまいましたが、お陰様でめうがやは今もお客様に長くお待ちいただくことがあるほどオーダーは絶えません。

——長い歴史に裏打ちされた確かな技術と、お客様のことを第一にモノづくりに真摯に向き合う姿勢から、「こんな足袋が欲しい!」と相談を受ける5代目。めうがやでしか作れない足袋のこだわりを穏やかな口調で語ってくれました。

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“あつらえの良さ”が光るフルオーダーの足袋

足袋は和装や芸事、祭りなどを中心に一定の需要がある日本ならでは伝統工芸品です。最近では、靴下専門店やネットショッピングなどでも広く取り扱われていますが、そのほとんどは大量生産できる既製品。一方、向島めうがやの足袋は、履く人に合わせて作るフルオーダーが中心です。既製品が多い中、なぜ手間暇が掛かるフルオーダーの足袋を作られているのでしょうか。

芳和 当然ですが、足の形というのは一人ひとり違います。例えば、外反母趾のように親指が突き出した形一つとっても人によって異なりますし、第二指(人差し指)が親指より長いなど、指の長さもさまざまです。

最近の既製品は、(靴下のような)伸縮性のある生地を使うものが多く、外反母趾のような形の方でも気軽に履くことができます。ですが、伸縮性はあるといえど横幅がきつく、締め付けられるような形になることがほとんど。長時間履き続けることは苦しくなってくるかと思います。

しかしフルオーダーで作る私たちの足袋なら、その窮屈感を和らげることができます。足の隅々まで長さや幅周り、きつさ、ゆるさなどを調整できる、そういう“あつらえの良さ”というのがフルオーダーの足袋の良さだと思います。

足の長さを測る文規(もんぎ)という道具。1メモリが一文(約2.4cm)になっている。写真は代々受け継がれ100年近く使われている文規

——“あつらえの良さ”は履いて初めて分かると芳和さん。「お客様が最も気持ちよく履ける形に仕上げる」ことがフルオーダーの良さかと思いきや、オーダーによっては、「わざと窮屈に仕上げる」足袋もあるそうです。

芳和 一方で、単に足の形に合わせて作るだけがフルオーダーではありません。数としては昔と比べて減りましたが、それでも向島界隈を中心に、多少窮屈でも履いたときの見た目の良さにこだわるお客様がいらっしゃいます。例えば日本舞踊の方。座った時に触れる足袋の心地よさよりも、舞踊の際の立ち居振る舞いの美しさを足袋に求められますから。“京都の着倒れ、浪速の食い倒れ”と並んで、“江戸の履き倒れ”とはよく言ったもんです。昔から江戸っ子は見えないところに最も気を使う“粋”を大切にするといわれていますが、足袋にこだわるのはそうした気質からかも知れませんね。

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“想い”をくみ取り、かたちにする職人技

単純に足に合った足袋を作るのではなく、好みや要望に沿った足袋も作れるというめうがや。そんな好みや要望を叶えるためには1ミリの誤差が履きこごちに大きく影響すると言います。では、足袋を作る上で一番難しいこととは、どのような工程なのでしょうか。

芳和 足袋を作る工程は「採寸」「型紙作り」「生地の裁断」「縫製」「仕上げ」と全部で5工程あるのですが、その中でも「型紙作り」と「縫製の最後」は、特に難しく、経験と技術が重要になります。

型紙作りとは文字通りお客様の足の形を調べ、足袋の型紙を作るために行なう作業のことです。先ほども申しましたように、単に足の形を測ればいいというわけではありません。採寸をする際のお客様との会話の中から「このお客様はどんな足袋を望まれているのだろうか?」と数字に表せない“想い”の部分をくみ取ることが大切なのです。

また縫製の最後とは、つま先の縫い付けです。この工程では、約100年前のドイツ製のミシンを使用し、手回しでひと針ずつ指先の布を縫い込んでいきます。このとき注意しなければならないのが、足全体の形状を理解した上で、その人に合わせた縫い方をすること。長年の経験と技術が要求される最も難しい工程です。

縫合が済んだ足袋を木槌で叩き、縫合部の盛り上がりを平らにしていく。この細やかな思いやりが履き心地を軽やかなものにする

——ひと針縫うところを間違えると最初からやり直しになるというつま先の縫い付け。職人歴40年を誇る芳和さんでもこの工程は緊張すると言います。足袋に命を吹き込む重要な工程であるため、息子であり後継者の健介さんにはまだまだ任せられないそうです。

芳和 息子の健介には、これまで何年も全国各地からのご依頼があると行かせていて、ご注文とりをさせてきました。ご依頼のほとんどを健介が対応しているので、最初の採寸の工程に関しては十分上達していると思います。お客様とお話する中で何をどうすれば求められている足袋を作れるのかがだんだんと分かってきたように思えますね。ですが、つま先の縫い付けはまだまだ私の仕事です。一連の工程、特につま付け(つま先の縫い付け)を一人前にできるようになって初めて、めうがやの“6代目”を任せられます。

息子であり、後継者の石井健介さん。控えめながらも、内に込める職人としての熱い決意とのれんを受け継ぐ覚悟を語ってくれた

——「技術が最も大切だが、それと同じくらいお客様との関係性が大切」と語る芳和さん。そんな厳しくも温かい師匠を父に持つ健介さんは、なぜ家業を継ごうと思われたのでしょうか。

健介 高校生の頃までは特に意識もしていなかったので、卒業後は簿記の専門学校に入りました。資格を取って一般企業に勤めることを考えていたのですが、いざ就職という時になって、ふと家業を継ぐのが自分の中で最も自然で、当たり前のことのように思えたのです。

もちろん父から言われたわけではありません。幼い頃から、店先から花柳界の方々の足元が見える、という景色が当たり前の毎日を過ごしてきましたので、その風景の中で「いずれは自分も継ぐのだろうな」と、きっと潜在意識のどこかで思っていたのかもしれません。

芳和 私も同じようにめうがやを継ぎました。私の場合は、商業高校を卒業した後、呉服屋をはじめとした一般企業に数社勤め、20代後半にめうがやに入りました。親父(4代目・定男さん)がミシンで足袋を縫い、来られるお客様に笑顔で応対する。そんな光景が当たり前でしたから、「いずれは自分も継ぐのだろうな」と考えていましたよ。気がついたら40年の年月が経っていましたね(笑)。

——「いずれは自分も継ぐのだろうな」。そんな同じような想いでめうがやを継いだ芳和さん・健介さん親子。家族であり、師弟でもある関係の中で、父の尊敬するところ、息子に期待することを伺いました。

関東大震災直後の帝都復興事情に伴って、現在の向島へ移転する前の浅草の店舗で撮影された写真。以降現在まで向島の土地で伝統を受け継いでいる

健介 父の尊敬するところは一足一足妥協しない姿勢ですね。当たり前のことではあるのですが、やはりそばで見ていると職人としてのすごみを感じます。これまで向島めうがやを守り継いできたという“のれんの重み”がその姿から感じられます。自分もいつかはこののれんを担ぐのだなと思うと気が引き締まる想いです。

芳和 健介には、まだまだ覚えてほしいことが沢山あります。どうしても親子ということで、どこかに甘えというか緩さというか、そういうところがあるように感じてしまうんですよ。ですから親子関係以上の、職人としての気構えみたいな部分がもう少し出てほしいです。でも、家業を継いだときのように、いずれ何か思いもよらぬきっかけを自らつかんでくれると期待しています。あとは体調に気を付けて、しっかりと技術を磨いていってくれれば当分は安心ですね。

——父が守り継いできたのれんはいつの日か息子に受け継がれる。厳しい言葉の中にはどこか優しさと信頼が込められていました。

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向島めうがやのこれから

職人としての距離感と、親子としての安心感。そんな絶妙な関係性を保つ5代目に今後の向島めうがやの展望について伺いました。

技術革新と伝統が入り混じる墨田区には、150余年もの歴史を守り続ける、謙虚でモノづくりへの熱意に溢れた二人の足袋職人がいた

芳和 展望と言われましても……まぁ別に「めうがやのビルを建てたい!」ということはないですね(笑)。これまで通り、ご縁のあったお客様の足袋を作らせていただく。それだけに集中できれば十分です。

今もお客様にはお待ちいただくことが多々ありますが「何カ月も待ってこの程度の出来?」なんていう、お客様の期待を裏切るようなことがあっちゃいけません。「待った甲斐があった!」と言われるような、完成度と満足度の高い足袋をこれからも一足一足丹念に作っていく。それが初代から綿々と受け継がれてきた向島めうがやの伝統ですから。

——一足一足丹念に足袋を作る。そんなめうがやの伝統は、穏やかでありながらも熱意のこもった職人のモノづくりで、次世代へとゆったりと歩みを進めることでしょう。

取材協力=石井芳和・健介(向島めうがや)

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TAGS:#受け継ぐ  #想い。の苗木  #伝統  

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