国内随一の江戸簾職人。形
を変えて愛され続ける田中
耕太朗のモノづくり
国内随一の江戸簾職人。形を
変えて愛され続ける田中耕太
朗のモノづくり

2019.08.01

明治初期の創業以来、5代にわたり簾(すだれ)の伝統的な技術・技法を脈々と受け継いできた田中製簾所。その活動を認められ、昭和58年には東京都の伝統工芸品の一つとして指定されました。今回は、江戸簾の産地組合の代表を務めながら台東区千束の土地で簾の製作に励む、5代目・田中耕太朗さんにモノづくりへの熱意や想いを伺いました。

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人と同じことはやりたくない

学生時代は数学の勉強に没頭し、より深く研究したいと、大学院の助手として奉職。自身の研究に加え、学生の指導係を担うなど、多忙ながらも充実した日々を送っていたという田中さん。しかし、そんな日々を送るなかで、田中さんの心の中にあった「人と同じことはやりたくない」という気持ちが徐々に増していくようになります。

工房の入り口に掲げられた簾を眺めながら笑顔で当時を振り返る5代目・田中耕太郎さん

田中 社会に出れば歯車になるのは違いないんだろうけど、誰でも替えのきく歯車にはなりたくなかったんです。20代半ばで将来について考えたとき、初めて家業を客観的に見てみました。すると、それこそ「誰もやってないな、面白そうだな」ということに気が付きました。当時付き合っていた妻の後押しもあり、「よし、やってみよう」と家業を継ぐことを決めましたね。

ーーそんな、まさに“灯台下暗し”な気付きから、簾職人の道を歩み始めた田中さん。子どもの頃から簾作りを手伝ってきて、かなり道具や材料の扱いには慣れていたそうです。しかし、見習いで作業の一部を担うことと、一から十まで責任が伴う職人としての仕事とでは、大変さが全く違ったといいます。

簾を編む際に欠かせない「投げ玉」。さまざまな形・大きさ・重さがあり、製作する簾の大きさに合わせて数や重さを使い分ける

田中 スタートが遅かった分、早く一人前にならなきゃいけないという想いが強かったので、職人が帰ったあとに竹のゴミを使って一人で自主練習していました。聞けば教えてくれるんだろうけど、そこは意地がありましたから、何も聞かずに黙々と簾を作り続けましたね(笑)。

ーー誰も見ていないところで努力を重ねる。そんなひたむきな姿勢を崩さない職人に憧れた田中さん。しかし、「一人前の職人になるためにはたんたんと簾を作り続けるだけでなく、経営のことも考えなければならない」といいます。

伝統工芸を生業とする家系では、親世代が会計を握っていることが多く、子世代が事業を引き継いだときに、経営状況が想像と違っていた……ということがよくあるそうです。

田中さんも家業を継いだとき、初めて経営の難しさに直面しました。ですが、田中さんの専門分野は数学。学生時代の知識を活用し、経営状況を把握しながらモノづくりができたそうです。これは、後々、仕事の選択を判断する場面で、非常に役に立ったといいます。

実際に簾を編む様子。投げ玉に糸を巻き、左右の偏りが出ないよう締め付け、テンポよく編んでいく

田中 それまでは包装用の簾など、量産品の簾も受注していましたが、今後、環境問題の顕在化や需要減を予測して、市場から撤退することを決めました。それに、ありふれたデザインの量産品を横に流すことは誰にでもできることです。家業を継いだ時と同じように、「人と同じことはやりたくない」ので、今は「依頼者の想いに応えるモノづくりをしたい」という信念のもと、注文品を中心に対応させてもらっています。

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要望以上の優しい“おせっかい”

そんな特注品のみを扱う田中製簾所。ある時、地方で蕎麦屋を新規開店する若い店主から「せいろ蕎麦に使う簾を作って欲しい」という依頼を受け、店主の要望と自身のイメージを膨らませながら、せいろ蕎麦にマッチするよう通常よりも細身の簾を製作しました。

細い竹ひごで編まれた特注品の簾。規則正しく並び編まれた簾は、小さいながらも存在感があり、まるで芸術作品のよう

よく見掛けるものより、細い竹ひごで編まれているのは田中さんの「人と同じことはやりたくない」という想いによるもの。当初はこれよりもっと細い竹ひごで試作品を作っていたのだとか。既製品では絶対に存在しない今のカタチに至るまでには、田中さんの優しい“おせっかい”が幾度も発揮されていました。

田中 依頼主からは「より繊細なイメージにしたい」というオーダーを受けていました。人と同じことはやりたくないので、簾の存在感がありつつも、蕎麦が目立つ。その上既製品にはないような、細い竹ひごを使った簾を製作しました。いくつか太さを変えた試作品も用意しましたが、毎日何十回と使う道具だからこそ、耐久性を考えてこの太さで依頼主に提案しました。江戸の職人は基本的に“おせっかい”な気質。要望におとなしく応えるだけじゃなくて、「こうしたほうがいいんじゃない?」と経験に基づいた提案をして、その人なりの一番使いやすい道具になるよう目指して作っています。

ーーまた、田中さんは江戸・東京だからこそできるモノづくりがあると語ります。

田中 「江戸の下町」ならではの“おせっかい”な人柄や、職人同士の横のつながり、人が行き交う活気のある街。そういった生活感のなかで育まれてきたモノづくりは、他の土地では成し得ません。東京の土地に根ざして作られるものには、不思議と「人柄」や「土地柄」が味わいとして表れるんですよね。

ーー昨今は、デパートの催事などでさまざまな土地の伝統工芸品に触れる機会も増えてきました。しかし、伝統工芸品を取り巻く一義的な潮流に対して、田中さんは思うところがあるようです。

竹を切断・削るための「なた」。手に馴染むよう一本の刀を半分に折り、その元の部分に竹を巻きつけている

田中 昔は、催事一つとってみても、伝統工芸品の文化をお客様に紹介しようという想いが感じられましたが、最近は伝統工芸品を商売道具として扱うような催事が増えてきています。観光地に続々とオープンする体験工房についても、カルチャースクールとしては悪くないんだろうけど、昔からその土地で続く“伝統工芸”として語られると少し違和感を覚えてしまいますね。

ーー“伝統”という言葉をどう捉えるか。人それぞれの考えがあるのは当然のことですが、受け継がれてきたものには壮絶な歴史と物語があることを再認識して欲しいといいます。

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簾の粋さを“チラ見せ”

明治以降5代も続いてきた家業の歴史の中では、仕事のできない時期が幾度もあったそうです。そんな先代たちの苦労を知っているからこそ、田中さんは“伝統工芸”の職人として、覚悟を持ってモノづくりに臨んでいます。

田中 関東大震災、第二次世界大戦など、数々の危機を先代たちが乗り越えてきたからこそ今があります。歴史ある他の東京都伝統工芸品も同様で、先代たちの苦労の上に成り立っている。そのことを忘れずにいたいですね。

ーー先代たちが命懸けで守り、つないできた伝統に想いをはせる田中さん。東京都伝統工芸品とは、製造工程の主要部分が手工業であること、伝統的な技術・材料による製造、都内における一定数の製造者の存在など、東京都知事が指定する複数の要件を満たしたものです。江戸簾も例外なく東京都伝統工芸品であり、田中製簾所はそんな伝統を守りながらも、世の中の変化に応じた新しい試みを行なってきました。

ユーモアたっぷりに現在の取り組みを語る田中さん。そこには“人と同じことはやりたくない”職人ならではのこだわりがあった

田中 その昔、塩化ビニール素材が登場したとき、先代が真っ先にすだれへ活用して販売したんです。アンテナをピンと張って世の中の変化にすぐに順応していました。僕らとしては、常にどうやったら簾を使ってもらえるかを考え、試行錯誤しています。今では、ホームページやSNSを日々更新・発信しています。「コレが江戸簾の良さです!」と言って押し付けるのは柄じゃないので、普段の食事の写真をアップするときに、ランチョンマット代わりに簾を敷いて“チラ見せ”しています(笑)。皆さんに興味を持ってもらえるよう工夫を重ねて簾作りを続けていきたいですね。「おっ、良さそう」と思ってもらい、使ってみて、それぞれにとっての簾の良さを感じてもらえたら幸いです。

ーー「自分の店のことだけでなく、伝統工芸の文化ごと考えることが大切」と語る田中さん。今日も、工房に掛けられた簾の隙間からは、江戸文化の灯りが垣間見えます。

取材協力=田中耕太朗(田中製簾所)

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